FmFm(ふむふむ)の独り言

自分のことを気楽につぶやくブログです。

特性の教科書とマニュアル:浪人時代編②

 さて、前回私の浪人時代についてさらっと振り返る内容を投稿したけれども、ひたすら勉強を続けるだけの浪人生活で、なぜ再び勉強を楽しむことができたのか。その秘密の1つに、私自身が作り上げた「教科書」や「マニュアル」があったからだと思っている。受験勉強に取り組む過程において、当然様々な参考書やテキスト、問題集などを使用するわけだが、私だけが分かるような、私だけが使いこなせるような参考書のようなものが欲しいと考えた。そこで、自分が自ら参考書を作り出し、分からなくなったり疑問が生じたりしたらそれを見ればよい、というアイテムの作成に至ったのだ。同時に、自分自身を鼓舞するという目的で、勉強方針や目標、使用教材について細かく記したものも必要だと考えた。

 そこで完成したのが「My教科書」と「マニュアル」だった。ちなみに「My教科書」は浪人時代に日本史、倫理、政治・経済、生物の暗記系科目を作成。全て手書き。高校時代などに使っていた教科書なども参考にしながら作り上げた。「マニュアル」は、1つ1つ模試が終わったり、予備校で定められた学期が終わるたびに、気持ちを改めるために計10部ほど作った記憶がある。今では浪人時代の勉強の証であり、財産である。ちなみにこの「My教科書」と「マニュアル」は教員採用試験に向けた勉強においても作り上げたものがある。これも、今となっては私の宝物だね。

後悔はしていない:浪人時代編①

 高校時代に深い反省と後悔を抱いた私は、気持ちを改め、予備校へ通うこととなる。この1年で自分は変わらなければという強い思い。当然だが、予備校は勉強しかしない。ひたすら勉強。だいたい授業は夕方の3時くらいに終わるので、残りの時間は空き教室や自習室で勉強する。高校のように学校行事や部活動なんてものはもちろんないので、暇さえあれば勉強するしかないのだ。あるとするなら、避難訓練ぐらい。でも、この生活は辛いという印象より、むしろ勉強を楽しもうとする純粋な心を取り戻すことができた期間であったような気がする。

 ただ、模試があり結果が出るたびに生まれるプレッシャーは大きかった。加えて私はその模試で飛躍的な点数の伸びを見せることができなかった。自分の課題は分かっているのに、努力し続けているのに、結果が出ない。これほど辛いことはない。でも自分を信じてひたすら勉強し続けるしかなかった。勉強が楽しいという気持ち、でも結果が出ず悔しいという気持ち。2つの気持ちが交差する中、緊張した状態で2度目のセンター試験を迎える。当然現役時代よりも伸びてはいるのだけど、大して大きな伸びではなかった。今だから言えるが、結果は6割5分くらい。志望大学を大幅に下げることになった。そこで新たに目指したのが地元の大学だ。悔しい思いと、新たな学び舎で頑張らなければという思い。

 でも、この浪人経験に後悔はない。むしろ自分の人生に必要な経験だったと思う。明らかに高校時代の勉強量や知識量が少ない自分を改める、良い機会だったと思っている。だが、本当は浪人などしない方が良く、高校時代にやるべきことをしっかりやって、自分の進路に進むことが正しい道なのだ。浪人した私だからこそ気付いた正しい生き方であり、全国の高校生にその大切さを伝えたい。

どうした自分:高校時代編

 私の学生時代を振り返る。前回は中学編だったが、今回は高校編。自分らしく、努力を重ね上げ、自信を抱いていた中学時代から一変する。県内トップの高校という環境が、私を変えてしまった。ただ、ここで1つ記しておきたいのは、決して周りの環境や関わってくださった方々に責任があるだとか、非があるだとかではなく、むしろその環境に自ら適応しようとしない、これまでの悪い自分を変えようとしなかった私自身に非があったのだと、本当に、心から深く反省しているし、後悔している。この「変わらない自分」の存在が浪人という事態を招いてしまった。タイムマシンで過去に戻れるならば、高校の合格発表後の自分に戻りたいと、これまで何度思ったことか。本当に、私の行った高校は生半可な知識、能力、努力で通じる場所ではなかった。憧れていた高校に入学できたとはいえ、それから先に対する考えが甘かった。勉強が難しすぎる、覚える量の半端なさ。日に日に中学の頃の自分とは対照的になり、本当に自分が嫌だった。楽しくない。勉強を楽しんでいた自分はいったいどこへ。加えて、周りの人とのレベル差に気付き始める。みんなできるのに、自分はできない。じゃあ自分がもっと頑張ればよいのに、なぜか頑張れない。意欲が湧かない。そして、やっても無意味なのではないかという考え方にたどりつくことさえあった。悔しくて仕方がない。あの時頑張っていれば、もっとかじりついていれば…。

 結局センター試験はボロボロ。ちなみに今だから言えるが、文系のくせに国語、社会系科目の点数は半分も行ってない。数学Ⅰ・Aは30点台。もちろん浪人の道へ進むことになった。高校時代唯一頑張ったのは、生徒会かな。これはやっていて良かったと思う時がたまにある。副議長としていろいろな経験ができたし、何より仕事が楽しかった。この投稿を見ている高校生の方がもしいれば覚えておいてほしいのだけれど、本当に勉強はしっかりやったほうが良い。今からでも遅くない。後は、目標をしっかり持つ、やりたいことに全力で取り組む。その時、自分は何をやりたくて、なぜそれに取り組むのか、自問自答することが大切だと思う。後悔だけしないでほしい。私がものすごく後悔した人間だから。これはかつて塾でバイトをしていた時、最後の授業でも伝えたな…。懐かしい。あの生徒たちは頑張っているかな…とたまに思う時がある。私の後輩になってくれた生徒もいるしね。

自分らしさ:中学時代編

 ここからしばらくの間、私の学生時代(主に中高、浪人、大学入学)を振り返った内容を投稿していこうと思う。まずは中学編から。

 今までの学生生活で最も輝いていた時期だと思う。かつ、最も自分らしく、最も楽しんで過ごしていられた時期。毎日が充実していたと思う。部活もそうだったし、勉強も努力に努力を重ねた時期だった。だが中学の頃に戻りたいとは思わない。むしろ大切な過去の思い出としてしまっておきたい。本当に自分らしくいられたというか、自分に自信を持っていた。誇りを持っていたと思う。それはおそらく高校受験に向けた勉強から得られたものだろう。自慢ではないが、私は県内トップの公立高校に出願し、合格した。繰り返すが、自分なりに努力に努力を重ねて。通信教材には取り組んでいたが、塾には通わず、ひたすら目の前にある問題に食らいついていた。足りなくなったら学校の学習会で余ったプリントがないか、無駄紙回収の箱をあさったものだ。それだけ勉強に意欲を感じていたし、楽しんで取り組んでいた。何より心が純粋だった。「努力は必ず報われる」のだと心から信じていたのだろう。

 しかし、この合格を機に、私の学習意欲は薄れ、「高校合格=ゴール」という考え方が根付いてしまったのが人生における最大のミスだったと反省している。その後の自分は本当に見るに堪えないというか、情けない高校時代だったなと思う。高校編へ続く。

やっぱりたどり着くのは水泳

 小学2年の頃から水泳を始めた。習い事を何か1つはやっておいた方が良いと親と話し合い、近所の友達がやっている水泳にしようと決めた。小学校を卒業するまでは週1回、土曜日に近くのスイミングクラブに通っていたが、中学校でも運動系の部活動に入るべきだとやはり親と話し合い、水泳部に。ただ、通うクラブが変わり、部活である以上、練習メニューも大幅にきつくなって、今までがまるでお遊びのような練習だったことに驚かずにはいられなかった。部活に行くのが嫌な日もあったし、当然タイムが伸び悩んだ時期もあった。特に中2の夏。専門である平泳ぎが一向に伸びない。苦しかったが、それでもやはり、タイムが伸びたとかサイクル内に回れるようになってきたという日々の進歩が嬉しかったのだろう。水泳が楽しかった。中学3年の最後の県大会の涙は今でも忘れない。これで引退、という最後の種目、100m平泳ぎを長水路のベストタイムで泳ぎ終わり、これまでの水泳人生に悔いがないこと、でもやっぱり水泳から離れることの悲しさに、テントの中で1人涙を流した。

 高校でも水泳を続けていれば良かったと何度も後悔する。勉強とうまく両立できるか不安に陥り、水泳から逃げた。これが人生における失敗の1つだと改めて思う。だからこそ、浪人時代、また大学で水泳に没頭しようと誓った。そして今、スイマーに戻ることができた自分がいる。さすがに泳ぐ頻度は減ってしまったが、大学1年の時、50m自由形で生涯ベストタイムをたたき出したのは、本当に良い思い出である。まだ可能性があるのだ、というか、もっと水泳を楽しめる環境にいて、その能力があるのだと気づかされた。唯一得意なスポーツである水泳を愛する思いは失いたくないと感じている。

福山雅治への憧れ

 かつて好きだった嵐から遠ざかり、次に注目したのが福山雅治だった。センター試験に向けて勉強している中、ふとラジオを付けた時に、魅力あふれる深い声が聞こえてきたのである。曲はIT’S ONLY LOVEだった。一瞬で惚れた。ファン歴は約5年(2018年3月現在)。

 福山雅治の影響で大学に入ってからアコギも始めた。練習に時間を注ぐことができたのは、大学1年の頃ぐらいだったけれども、浪人時代からやりたいと思っていたことを実現できたのは本当に良かった。ラジオも毎週のように聞いていた。かつて土曜日の夜11時半から放送されていた、魂ラジこと「福山雅治オールナイトニッポン魂のラジオ」はほとんど毎週欠かさず聞いていた。そこで最後に福山が一曲弾き語りを必ずする「魂リク」というコーナーがあったのだけれど、深みのある、美しい声とギターの音色にいつも感動せずにはいられなかった。今ではもうラジオに耳を傾けることすらなくなってしまったけれども…。ガリレオも好きだった。こんなふうにかっこよくなりたいと何度思ったことか。(笑)その影響もあって、原作の東野圭吾の作品や本はしばしば読むようになった。今では私の好きな作家である。福山雅治は私にいろいろな素晴らしいものを与えてくれたと思っている。

嵐大好き少年

 私は女っぽいところがある、と以前つぶやいたことがあるが、これもそうなのかもしれない。中学3年の頃から、アイドルグループの嵐にドはまりしたことがある。彼らのさわやかさと、5人の仲の良さに惚れた。嵐の10周年のアルバムがきっかけで、今まで聞いたことのある曲のほとんどを嵐が歌っていることが分かり、本当に好きになった。公立高校入試の受験勉強で疲れた時には毎回嵐の曲を聞いて、元気をもらっていたものだ。学校からの帰りも1人で帰ることが私は多かったから、誰も見ていないことを確認して、嵐の歌を歌いながら家へ帰ったものだ。本当に懐かしい。

 嵐への愛は大学受験の勉強もあって高3の夏ごろで止まってしまい、以後薄れていくことになるのだけど、最近また少しずつはまりだしている。嵐の最大の魅力はやはり「さわやかさ」であると思う。1人1人の個性が輝き合い、歌もそうだが5人の力が1つになるとそれが最大限に発揮されると思う。ドはまりした時に好きだったのは、BelieveやTruth、今は心の空とかが好きかな。5人の中で一番好きなメンバーは誰かと言われたら、大野くんだった。今もそう。