FmFm(ふむふむ)の独り言

自分のことを気楽につぶやくブログです。

教採日記No.20(2021.3.21日)

※教採日記とは… 私自身が教員採用試験の勉強を本格的に始めた、2016年の秋から今に至るまでの出来事、様子を不定期に記したものである。「教採」日記とはいえ、教員採用試験の合格後も、日々の学びや教壇に立ってからの実践に生かすためにこの日記は続いている。

 

 これは今年度、教員生活で初めて受け持った卒業生を送り出した数日後に書いた日記である。忘れられない思い出をこのブログにも残しておこうと思う。

 

 先日、教員生活で初めての卒業式を終えた。28名の子どもたちが、小学校を巣立っていった。初任で受け持った4年生の子どもたちを3年間持ち上がらせていただいた。初めて教員生活で受け持った子どもたちを卒業させることができるということ。これまで様々な機会に伝えてきたが、これほど幸せなことはないと思う。私にとって一生の思い出に残る卒業式になった。式の最後になると、その思いが涙となってあふれてきた。ある一人の女の子が、退場しながら泣いていた。それを見ると、私も涙があふれてきたのだ。控室に戻り、記念写真を撮ってから、門出の時。プレゼントと花を渡すと、私の涙は止まらなかった。この子たちと別れることの悲しみがいっそうあふれてきた。終わってからも、少しでもあの子たちのことを思えば、涙が出てくる。それだけ、私にとってかけがえのない存在であり、忘れられない子どもたちだった。

 思えば、この一年は本当につらい一年だった。去年の今頃、かなり小さい規模で卒業式を行ったわけだが、もっと立派な卒業式をあの子たちにさせてあげたいという思いでいた。同時に、この臨時休業はすぐに終わると思っていたし、4月から元通りの生活に戻れると信じていた。だからこそ、あの子たちと過ごす最後の一年間に向けて、授業にしても、学級経営にしても、いろいろなことを計画していたつもりだった。新たにチャレンジしたいこともあった。だが、そうはいかなかった。どんどん臨時休業が延び、始まったのは5月末。そこからいろいろなものが後手後手に回ってしまい、本来あの子たちが活躍する行事も中止もしくは制限下での実施。子どもたちのやり切れない気持ちや、どこにぶつけたらいいのか分からない不満も、私に伝わってきた。学級の雰囲気がよくないことも私には分かっていた。

 でも。でもここまで、一つ一つ乗り越えてきた。一緒になって乗り越えてきた。そして、3月18日という卒業式の日を迎えることができた。出会いから得られる学び。子どもたちとの出会いで、たくさんのことを学ばせてもらった。時には迷惑をかけ、意見が合わない、衝突するようなこともあったが、それも子どもたちからの学びの一つだ。本当に心から感謝している。感謝してもし切れない。あの子たちは中学生になるわけだが、どうか、それぞれが持っている素直さと優しさを、どうか忘れないでほしい。いつまでも、一人一人が持つ自分らしさを忘れないでほしい。夢に向かって、後悔しない人生を歩んでほしい。いつか「美しき花」を咲かせてほしい。私は、いつまでもあの子たちの応援団である。3年間、本当にありがとう。いつか、また会える日まで…。

教採日記No.19(2021.3.29月)

※教採日記とは… 私自身が教員採用試験の勉強を本格的に始めた、2016年の秋から今に至るまでの出来事、様子を不定期に記したものである。「教採」日記とはいえ、教員採用試験の合格後も、日々の学びや教壇に立ってからの実践に生かすためにこの日記は続いている。

 

 間もなく小学校教員3年目を終え、4年目に突入しようとしている。この令和2年度は正直とてもつらい年度だった。特に11月はやるべきことと悩みが次々と重くのしかかり、非常に苦しかった。当時の思いをツイッターに連投したことがあったが、久しぶりにこのブログにも記録を残しておこうと思う。乗り越えた証として。

 

 (令和2年11月のとあるツイートにて)最近ネガティブツイートが増えている。これは私自身の現状に大きく影響している。自分の無力さや子どもたちの姿、そして彼ら彼女らへの申し訳なさから発せられてしまうものだと改めて気付かされた。

 本当はこの場を吐き出し口にしたくない。ツイッターを愚痴をこぼす場にしたくない。しかし、私にとって私の悩みを本音で吐き出せるのはここしかない。きっと、もしかすると私と同じ悩みを抱えている方がいるかもしれない。失礼だが、そんな安心感を得たいのだと思う。

 今の子どもたちとは3年目の関係である。初任で受け持った子たちを卒業させることができるという、これほど幸せなことはない。しかし、逆を言えばここまで育ててきた責任はほぼ自分自身にある。小学校生活の半分も。それが申し訳なさすぎる。

 最高学年にもかかわらず幼すぎる。当たり前のことができない。始業前の準備、係や委員会の仕事、何かに粘り強く取り組む姿勢。すべてにおいて欠けている部分があるような気がしてならない。そしてそれは、これまで受け持った私の責任であると自覚している。

 頑張っている人が認められるような学級でありたい。しかし今、そんな人達がどうでもよく扱われている気がしてならない。今日の学芸会の練習もそうだった。遅かれ早かれ学級崩壊が起きそうな予感がして怖い。そしてこの状況は自分自身が担任だからこそ生まれてしまったものではないかという思いもある。

 おそらく私が担任でなければ、子どもたちは今以上によりよい子どもたちへと成長していただろう。それも申し訳ない。~先生は~してくれたという言葉一つ一つが心にくる。自分の無力さを知る。申し訳なさを実感する。私が担任でなければどれだけ幸せだったことか。

 正直なところ、この半年で転職、退職という言葉も脳裏をよぎった。しかし、この小学校教員という夢も、なりたくて叶えた夢だ。同時にこの仕事を辞めたところでどうなるかなんて誰にも分からない。成功する保証もない。

 大学時代、アルバイトで塾講師をしていた。退職したら自分で塾を開く…?とも考えたが、無謀な話だ。アルバイトと本職とでは明らかに異なる部分がたくさん出てくる。それに、塾ではできないことをできるのが学校の教員だ。もちろんその逆もあり得るが。

 子どもたちが人を見る態度になっているのも正直なところだ。こんな子どもたちになってほしくなかったが、私のこれまでの責任だ。今より悪くならないように心がけるしかないと思う。よりよくなれば良いに越したことはないが、無事に卒業させることが一番の私の使命だと思う。

 連投申し訳ありません。でも、吐き出さずにはいられませんでした。六年担任としてやるべきことの蓄積とプレッシャーとその他いろいろなものが押し寄せている原因でもあると思います。ベストよりベターの考え方で、一つ一つ乗り越えていきたいと思います。

 

 というツイートを連投したわけだが、今、私はこの子どもたちを無事に卒業させてここにいる。何事も必ず終わりが来るのだ。次はこの卒業の話に触れたいと思う。

教採日記No.18(2019.3.16土)

※教採日記とは…私自身が教員採用試験の勉強を本格的に始めた、2016年の秋から今に至るまでの出来事、様子を不定期に記したものである。「教採」日記とはいえ、教員採用試験の合格後も、日々の学びや教壇に立ってからの実践に生かすためにこの日記は続いている。

 

 間もなく4年生でいられる時間が終わろうとしています。この1年は、みなさんにとってどのような1年だったでしょうか。去年の春、みなさんとの初めての出会いから1年が経つんだと思うと、本当に時間の流れの速さを感じます。でも、こんなに速く過ぎ去っていく時間の中でも、先生はみなさんとたくさんの思い出を作ることができたと思っています。 ~途中文省略~ などなど、本当にたくさんの思い出でいっぱいです。

 これも、みなさんとの出会いがあったからです。出会いは、わたしたちにたくさんの学びや、経験や、幸せを与えてくれます。人や物との出会いがあることで、わたしたち人間は頭がよくなったり、心も体も成長したりすることができるのです。みなさんと先生との出会い。いいことばかりが続けば、もちろん、先生もみなさんも楽しく有意義な学校生活を送ることができます。しかし、先生はまだ「先生」になってから1年しか経っていない未熟者です。特に、この〇〇小学校にいる時間は、みなさんの方がずっと長いです。だから、みなさんの方が先輩であり、時にはみなさんから学ぶことも必要な時があるんだと、いつも心にとどめてきたつもりです。そんなみなさんとの出会いを無駄にしてしまったり、もしかすると嫌な思いをさせてしまったりした時があったかもしれません。必要のないことで叱ったり、傷ついた気持ちにさせてしまったりしたこともあったかもしれません。そう考えると、先生自身も申し訳ないなと思うし、自分の無力さを痛感します。本当に先生が担任でみなさんは幸せなのだろうか?そう悩んだ時もありました。夜寝ていると、4年生のみなさんが夢に出てくることもありました。みなさんと一緒に教室で授業をしている夢です。でも、その時のみなさんは、一人も先生の話を聞いていないのです。先生がいくら注意しても、だれも先生の方を見ない。ずっと騒がしい話し声が続いている。「どうして話を聞いてくれないんだ?」そう思う時間がずっと続いたところで、目が覚めるのです。起きた時はなぜか、ハアハアと息が荒く、汗をかいているのです。「もしかすると、今の自分は、みなさんを悪い方向へ成長させているのではないか?」とものすごく不安になる時もありました。

 でも、決してそんなことはありませんでした。みなさんは1年前と比べると本当に成長しました。これまでできなかったことが、たくさんできるようになりました。悪いことは悪いと、お互いに注意し合うことができるようになりました。「今何をしなければならないのか」考えて行動できるようになりました。先生がかつてみなさんに伝えた「大人な4年生」へと成長した証拠です。こんなすばらしいみなさんと一緒に成長できたことを心からうれしく思います。みなさんが先生にとって初めて担任するクラスで本当によかったと感じています。素直で、きれいな心を持っているみなさんとの出会いに、感謝の気持ちでいっぱいです。

 さて、みなさんはこれから5年生へと進むわけですが、これまで以上に学校の顔として活躍していかなければならない時がたくさんあります。どんな出会いが待ち受けているか、不安な人もいれば、ワクワクしている人もいるでしょう。でも、これまでみなさんが学んできたことを生かし、時には周りの友達や仲間と支え合っていけば、きっとどんなことも乗り越えていくことができるはずです。みなさんはそのような力を持っている人だと先生は信じています。来年度、先生がみなさんの担任の先生にならなかったとしても、また新しいみなさんとの思い出を作っていきたいと心から思っています。本当に、みなさんと出会うことができてよかったです。1年間、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

教採日記No.13(2018.1.24.水)

※教採日記とは… 私自身が教員採用試験の勉強を本格的に始めた、2016年の秋から今に至るまでの出来事、様子を不定期に記したものである。「教採」日記とはいえ、教員採用試験の合格後も、日々の学びや教壇に立ってからの実践に生かすためにこの日記は続いている。

 

教職実践演習のとある恩師の先生による一斉講義にて。

【課題】信頼される教師になるためにあなたはどのような生き方・考え方を持って努力していきますか。今日の授業を踏まえて述べなさい。

 初心を忘れないこと。教員になりたいという夢を抱き、大学で勉強した自分や教育実習で失敗を重ねた自分、教員採用試験の合格に向けて努力した自分の姿を忘れずに、今後努力していきたいと考える。何より、教員という仕事の尊さや素晴らしさを念頭に置き、日々の仕事に全力で取り組むこと、そして全力で楽しむことを忘れないでいたい。また、自分が教員という職業に就くことに誇りを持ちたい。春が1日1日近づき、いよいよ教員生活が始まることを考えると、楽しみな思いもあるが、授業はうまくできるだろうか…学級経営をしっかり行うことができるだろうか…と不安な思いの方が勝ってしまう。また、最近「働き方改革」などの動きも見られるように、教員の多忙さや勤務時間、残業などの問題があらわになっていることから、このようなニュースを見聞きするたびに、これから厳しい世界に飛び込んでいくんだ…と覚悟を決める自分もいる。しかし決して忘れないようにしたい私の「生き方・考え方」は、大学時代から継続してきた「何事も楽しんで取り組むこと」そして「学び続ける姿勢でいること」の2つである。前者について、たとえ困難な状況や苦しい立場にあっても、小さな楽しみ(楽しさ)を見つけながら、意欲的に物事に取り組んでいきたい。後者については、たとえ教員という立場ではあれど、同僚だけでなく、子どもたちの日々の学びの姿から、自分の指導法などを見つめ直し、改善していこうとする気持ちや、新しい考え方に出会い、挑戦しようとする気持ちを持ち続けたい。この2つの「生き方・考え方」を忘れず、信頼される教師をこれから目指していきたいと考える。冒頭の言葉にもあるように、何より教員という夢を抱き始めたころの初心を忘れず、自分が教員であることに誇りを持って努力していきたい。

教採日記No.14(2018.2.14.水)

※教採日記とは… 私自身が教員採用試験の勉強を本格的に始めた、2016年の秋から今に至るまでの出来事、様子を不定期に記したものである。「教採」日記とはいえ、教員採用試験の合格後も、日々の学びや教壇に立ってからの実践に生かすためにこの日記は続いている。

 

 大学での授業すべてが終了した。もう講義室でいろんな先生方の講義を聴くこともないし、アパートでレポートを終わらせることもないし、これといったプレゼンの準備をすることもないし、模擬授業をしたり、そのための指導案を作ることもない。まあ、これからの現場ではよくあることだけれども。なんだか名残惜しいというか、どこか寂しい気持ちになる。このような気持ちを、私の友人曰く、「エモい」というらしい。感傷に浸るというか、これまでを振り返って、胸に来るものがあることなのだろう。大学での学びは終わりを告げたが、教員としての学びはむしろここから。始まったばかりである。終わりという始まり。始まりという終わり。そして、今度は授業を受けてきた者から受けさせる者へと立場が変わる。新たに見えてくる様々な視点や考え方を吸収し、学び続ける教員でありたい。

人の好き嫌い

 誰にだって「この人といると楽しい」とか、「この人とは付き合いにくい」なんていう人がいると思う。要は、人には人に対する好き嫌いが誰しもあるということ。申し訳ないけど、私にもある。だが、そんな好き嫌いを克服して人は生きていかなければならない時が山ほどある。教員は特にそうだと思う。苦手な児童、生徒が仮にいたとして、そのような人たちとどのように接していくか。教員に限らず、多くの人との関わりの中で成り立つ職業は特に大事なことだ。

 私が心掛けていることは2つ。1つは、たとえ苦手な人と長く接したりする運命になっても、その人の長所や魅力を探し出し、認め、尊重すること。自分にはない良さを見つけることも大切なことかもしれない。他人の魅力を見つけ出すことで、その人を少しでも好きになるきっかけを作る。後は、相手との共通点を探すことでより好きになることができるかもしれない。

 2つ目は、たとえ嫌いであっても、「嫌い」だと言葉に出さないこと。これは割と大事なことで、人間は不思議なことに「嫌い」と口に出すだけで本当に嫌いになってしまうものなのだ。分かりやすい例で言えば、幼い頃に嫌いな食べ物があって、「嫌い」だと言って、それを長い間ずっと口にしないとか、そういうことだ。人も同じ。苦手な人がいて、あの人の○○なところが「嫌い」だとか、△△な性格が「嫌い」と言葉にしてしまうと、本当に嫌いになってしまう。そして、その「嫌い」を克服するのに多くの時間がかかってしまう。だから、たとえ嫌いなものがあったとしても、それをできるだけ口にするのはあまり良いことではない。嫌いな食べ物、教科、スポーツ…。身の回りに割とあふれているかもしれないが、ストレスにならない程度に、克服できると良いかもしれない。「苦手」「嫌い」なものがない人なんていないのだから。

生まれた4つの顔:大学入学編

 1年間の浪人生活を終えた私は、結局ほぼ志望大学として考えていなかった地元の大学へ通うこととなる。考えていたとしても、第4とか5くらい。ここで学生生活を4年過ごすことに、最初は不安しかなかった。地元の大学なので、私のことを知っている、あるいは私の後輩である学生に出会うだろうなと予想はしていた。後輩なのに同じ学年。これが辛い。自分の立場、コミュニケーションの仕方…など、不安要素は様々で、友達ができるか心配だった。

 だが、今ではこうして同じ夢や目標を目指す仲間を持ち、いろいろな人と交流できたことに喜びを感じている。ここに進むことも悪くなかったというか、むしろ良かったという気持ち。高校の自分とは打って変わって、忙しさや苦しさを恐れずにやりたいことにどんどん挑戦してみようという思いでいた。そこから生まれたのが、私の4つの顔だった。

 ①学生としての顔。これは当然大学生である以上、誰もが持っている顔だが、「学び続ける」ことを忘れないでいたいという思いも含んでいる。人間は常に学んでいる。これは高校の自分にはなかった姿勢だ。たとえ能力の差はあったとしても、常に上を目指し、向上心を忘れない。そして、できるだけ良い成績をキープする。かつて県内トップの高校に通っていた以上、誰にも負けないような存在でありたいなと思っていた。今は難しいことに気付いたけど。

 ②スイマーとしての顔。これも高校時代にはなかった側面。正式に言えば、中学校までの自分は持っていたが、高校に入ってあきらめた側面でもある。約4年間のブランクを経て、水泳に再挑戦。部活にも入部した。以前記したと思うが、泳ぐ機会が減ったとはいえ、50m自由形で生涯ベストタイムを出したり、主務を経験したりと、自分の可能性を見つけることができた。

 ③ギタリストとしての顔。福山雅治に憧れ、初心者としての挑戦。サークルにも加入。十分に練習できたのは大学1年の頃だけだったが、自分の趣味の1つを作ることができたと思っている。楽譜を見ながらではあるが、簡単な曲なら弾けるようになった。

 ④塾講師としての顔。将来を見据え、約3年間、とある学習塾で集団授業を受け持ち、主に中学生を対象に英語を教えた。たまに国語も。これが自分を変える本当に素晴らしい経験だったと思う。いろんなことを学んだし、成長することができた。何より教えることの大切さと難しさ、そして楽しさを知った。このアルバイトをしていなかったら、今の自分はないと思う。それくらい大きな経験だった。

 このように、様々な活動に手をかけ、充実した大学生活を送ることができたと思っている。たくさんのものを得た分、たくさんのものを失ってきたこともあるけど。(笑)後悔したこともあるが、やらないで後悔するより、やって後悔した方が絶対良いことも学んだ。無事卒業できたことをうれしく思う。